御祭haiden.JPG

応神天皇

神功皇后

住吉大神
 
藤堂高虎公

 

 

由緒

当神社は建武年中(1334年頃)、京都・石清水八幡宮の御分霊を千歳山に勧請し、伊勢(国)に初めて建立された八幡宮が当神社であると伝えられている。更に、寛永九年(1632年)第二代藩主藤堂高次公が現在の地に極彩華麗な社殿を造営して神社を還すとともに、開拓神として藤堂高虎公を合祀、津の街の鎮守神として崇敬されました。

寛永十二年(1635年)藩主のすすめもあって、祭礼と神輿巡幸が始められ、津の城下の町々が永代おこたりなく賑やかに奉仕するようすすめて宝前の備え金を貸し渡されたり、又、寛永二十一年には垂水・藤方両村の内で三〇〇石を神領として寄進するなど代々崇敬された。

廃藩後、津の街の氏神神社として、明治六年郷社に、同十四年に県社に昇格、現在に至りましたが、その社殿は昭和二十年の戦災で焼失し、現在の社殿は、昭和四十二年氏子挙げての篤志報賽によって造営復興されました。

社号

当神社は、明治以前「八幡宮」と称し、又、お城から巽の方向に位置していたことから「巽の社」とか地名を冠し「安濃津八幡宮」などと呼称されていました。明治期にはいり、神祇制度等の改革によって社号の整理が行われたおりに、「八幡神社」と改称されましたが、平成三年古来の社号に復し「津八幡宮」と改称され現在に至っている。